東京地方裁判所 昭和60年(ワ)6743号 判決 1988年4月25日
原告
横谷瑞穂
右訴訟代理人弁護士
塚原英治
被告
株式会社富士銀行
右訴訟代理人弁護士
下飯坂常世
同
海老原元彦
同
広田寿徳
同
竹内洋
同
馬瀬隆之
同
村崎修
同
奥宮京子
補助参加人
ソヴィエト社会主義共和国連邦
右代表者本邦駐剳ソヴィエト社会主義共和国連邦特命全権大使
ニコライ・ニコラエヴィッチ・ソロヴイヨフ
補助参加人
アレクサンドラ・セメノヴナ・トカレフ
補助参加人
イヴアン・ドミトリーヴィッチ・クラヴチェンコ
補助参加人
アレクサンドル・イヴアノヴィッチ・トカレフ
補助参加人
ベラゲヤ・ドミトリーヴナ・ベツサラホヴア
補助参加人
ナターリヤ・イヴアノヴナ・コシエンコ
以上補助参加人六名訴訟代理人弁護士(但し、堀合辰夫、水野賢一は、ソヴィエト社会主義共和国連邦についてのみ代理権を有する)
堀合辰夫
鈴木正貢
成田信子
水野賢一
主文
一 被告は、原告に対し、金三七六六万八二七五円及び内金二九一六万五六五八円に対する昭和六〇年五月二六日から、内金七〇〇万円に対する同年六月八日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用のうち、参加によって生じた部分は補助参加人らの負担とし、その余は被告の負担とする。
三 この判決は、仮に執行することができる。
事由
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 ソヴィエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」と略称する。)国籍を有する白系ロシア人である亡きアレクセイ・ステパノヴィッチ・トカレフ(Алексей Степанович Токарев)以下「亡トカレフ」と略称する。)は、一九二三年(大正一二年)九月一五日に日本に入国(亡命)し、以後約六〇年にわたって日本に居住し生活してきた者であるところ、昭和五九年九月六日、東京都品川区八潮五丁目一番一―四〇六号所在の訴外武田年義方において、別紙目録記載のとおりの内容の遺言公正証書(以下「本件遺言書」という。)をもって公正証書遺言(以下「本件遺言」という。)をした。
亡トカレフは、右遺言において、原告を遺言執行者に指定した。
本件遺言に当たっては、証人二名の立会いの下で、訴外ステイム・エドワード・メナハム(以下「訴外メナハム」という。)を通事として、公証人訴外藤井一雄(以下「訴外藤井公証人」という。)が、亡トカレフからの聴取に基づいて弁護士である原告が遺言内容を記載したメモに従い証書の原案を事前に作成し、亡トカレフに対し通事を通じてその内容について各項目ごとに逐一口頭で発問し、同人の口授によりそれが同人の意思に基づくものであることを確認した上で、その内容全体を改めて通事を通じて同人に読み聞かせてその承認を得、手の震えのため署名不能の同人に代わって右証書に代署を行いその旨付記して署名押印するとともに同公証人の書記に同人の印鑑を押印させて本件遺言書を作成しており、本件遺言書は民法所定の方式をすべて履践して作成されたものである。
2 亡トカレフは、昭和五九年一一月三日死亡した。
原告は、亡トカレフの死亡後、遺言執行者に就任することを承諾した。
3(一) 被告は銀行取引を業とする株式会社であるところ、亡トカレフの遺産の中には、被告に対する左記の各預金(いずれも、口座名・A・S・TOKAREFF、口座番号<省略>、取扱銀行・被告目黒支店、種類・富士総合口座。以下「本件預金」という。)債権が含まれている。
記
(1) 普通預金(以下「本件普通預金」という。)
金額 一六万五六五八円
(2) 定期預金(期間一年、満期日において自動継続。以下「本件定期預金」という。)
a 金額 九〇〇万円
預入日 昭和五八年八月一八日
利息 年5.75パーセント
b 金額 八〇〇万円
預入日 aと同じ
利息 aと同じ
c 金額 六〇〇万円
預入日 昭和五八年一一月九日
利息 aと同じ
d 金額 二〇〇万円
預入日 昭和五八年一一月二八日
利息 aと同じ
e 金額 四〇〇万円
預入日 昭和五九年四月二日
利息 年5.5パーセント
f 金額 七〇〇万円
預入日 昭和五九年六月八日
利息 eと同じ
(二) 本件定期預金は、いずれも期間一年の総合口座定期預金であって、原則として満期日において自動継続されるが、亡トカレフは、本件定期預金のいずれについても、預入時において非継続とする旨の意思表示をした。
また、被告の預金取扱内規によると、総合口座定期預金の預金者が死亡したときは自動継続の取扱いをしないこととされており、したがって、請求原因3(一)(2)eの預金(自動継続扱い停止届が存在しない。)については、仮に非継続の意思表示がされなかったとしても、亡トカレフの死亡後に到来した同預金の満期日(昭和六〇年四月二日)以降の期間については、右取扱内規の定めによって非継続となる。
したがって、本件定期預金の利息は、各満期日以前の期間については定期預金の利率(a、b、c、dは年5.75パーセント、e及びfは年5.5パーセント)により、各満期日以降の期間についてはいずれも普通預金の利率(年1.50パーセント)によることとなる。
右を前提として、本件定期預金について預入時から後記4の支払命令送達の日である昭和六〇年五月二五日まで(ただし、fについては、右支払命令送達後に到来する満期日である同年六月七日まで)の期間における各利息を算出すると、別紙計算表「利息」欄記載のとおりとなる。
なお、本件預金の利息については、所得税の源泉徴収の対象となるため、別紙計算表記載のとおり、各税額(同表「分離課税」欄)を控除した残額及び元金の合計額(同表「税引後支払額」欄)が原告の取得分となる。
4(一) 原告は、昭和六〇年五月二五日送達の支払命令をもって、被告に対し右3の本件普通預金及び本件定期預金の支払を催告した。
(二) また、右各預金のうち、支払命令送達当時なお満期未到来であったfの定期預金については、その満期日である昭和六〇年六月七日が経過した。
5 よって、原告は、被告に対し、遺言執行者としての相続財産管理権に基づき、
(一) 本件普通預金(一六万五六五八円)並びに本件定期預金の元金及び利息(合計三七五〇万二六一七円。別紙計算表記載のとおり。)の総計三七六六万八二七五円
(二) 本件普通預金及びa、b、c、d、eの各定期預金の元金合計二九一六万五六五八円に対する支払命令送達の日の翌日である昭和六〇年五月二六日から支払済みまで、fの定期預金の元金七〇〇万円に対する満期日の翌日である同年六月八日から支払済みまで、各商事法定利率年六分の割合による遅延損害金
の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁(被告及び補助参加人ら)
1 請求原因1のうち、亡トカレフがソ連国籍を有するロシア人であること、別紙記載のとおりの内容の遺言公正証書が存在することは認めるが、右遺言書の効力は争う。その余は不知。
2 同2のうち、亡トカレフが昭和五九年一一月三日死亡したことは認め、その余は不知。
3 同3は認める。
4 同4(一)は認める。
三 被告及び補助参加人の主張(本件遺言の無効原因Ⅰ――遺言書作成手続の違法による無効)
本件遺言は、遺言書作成の手続に以下の1ないし7のとおりの違法があり、無効である。
1(適法な通事を欠くことについて)
公証人法三四条一項によると、「通事……ハ嘱託人又ハ其ノ代理人之ヲ選定スルコトヲ要ス」と規定されている。この規定は、公正証書の作成について、嘱託人と公証人とが互いに知識を有しない異なる言語で意思を疎通し合わなければならない場合、嘱託人の意思を正確に公証人に伝えることの制度的保障のための規定であると解される。したがって、本件においては、遺言公正証書の嘱託人である亡トカレフ又はその代理人が通事を選定することが絶対的要件である。
しかるに、本件遺言書の作成の際に通事として立ち会った訴外メナハムの選定は、受遺者である訴外武田二三子が、遺言者亡トカレフの全く関与しない事情の下で、独自の意思及び判断により訴外アクセノフに依頼して行ったものである。また、訴外武田二三子は、亡トカレフの代理人ではないから、公証人法の右の規定により通事を選定する権限を有する者でもない。
したがって、本件遺言は、公証人法三四条一項に違反し、適法な通事の立会いを欠いて作成されたものであり、公証人法二条により無効である。
2(不適格者の立会いについて)
本件遺言書の作成に当たっては、遺言者である亡トカレフの委託を受けその代理人として本件遺言の作成を公証人に依頼した原告が証人として立ち会っているが、公証人法三四条三項五号は立会人の欠格事由として「嘱託事項ニ付代理人……タリシ者」と規定しているから、原告は立会人としての適格を欠く者であった。
また、同条一項によれば、「立会人ハ嘱託人又ハ其ノ代理人之ヲ選定スルコトヲ要ス」と規定されているところ、遺言に証人として立ち会う者は常に立会人の性質を兼ね備える者であるから、本件遺言に立ち会う証人は亡トカレフ自らが選定することが絶対的要件であった。しかるに、本件遺言に証人として立ち会った訴外横谷七造(原告の父)は、亡トカレフとは一面識もなく、原告によって選定されたものであった。
公証人法三四条の規定は、あらゆる種類の公正証書を作成する場合に適用されるべき規定であり、公正証書により遺言書が作成される場合にも適用されるべき規定である。
したがって、本件遺言書は、公証人法三四条三項五号所定の欠格事由のある者又は同条一項の規定に違背する者を立会人として作成された公正証書遺言であり、公証人法二条、民法九六九条一号に違反し、無効である。
3(通事が通訳をするに足りるロシア語の能力を欠いていたことについて)
亡トカレフは、ソ連国籍のロシア人であり、母国語であるロシア語しか理解できない者であったところ、本件遺言書の作成の際に通訳として立ち会った訴外メナハムは、アメリカ人であり本件遺言書の内容を通訳し得るに足りるロシア語の能力を全く有していなかった。本件遺言書の作成手続はすべて訴外メナハムの通訳を通して行われたものであるから、本件遺言は、民法九六九条三号の口述筆記及び読み聞かせの要件を欠き、遺言者の意思に基づかずに作成されたものであって、無効である。
4(遺言者の意思確認のための手続(遺言者の口授等)の欠如について)
公証人が遺言者と面接する以前に起案した証書の原案に基づいて遺言公正証書を作成した場合に、民法九六九条二号所定の遺言者の口授の要件を充足するためには、その内容が遺言者の意思を正確に反映しているか否かを確認するための格別の具体的手段(遺言者自らの署名及び押印を求めたこと、署名は不可能であるが押印のみを求めたこと、当該原案を遺言者に実際に示したことなど)が講じられていることが必要である。
本件において、遺言公正証書作成の委託を受けた訴外藤井公証人は、遺言者と面接する以前に起案した原案に従って本件遺言書を作成したのであるが、同公証人が通訳を介して右原案の内容を各項目ごとに亡トカレフに告知したところ、同人はこれにうなづき、肯定的な答えを一言二言程度発したのみで、その内容について同公証人との間に具体的問答を交わしたことはなく、原案の内容は全く訂正されなかった。また、亡トカレフには、同公証人の書記の一方的判断により遺言書への署名の機会ばかりでなく押印の機会さえも与えられなかったものであり、遺言者の意思を確認するための格別の具体的手段が講じられた事実はなく、同公証人は原案の内容を単に遺言者に読み聞かせたにすぎない。
したがって、本件遺言は、公正証書遺言の要件である遺言者の口授を欠くものとして、民法九六九条二号に違反し、無効である。
5(遺言者の署名不能の認定について)
本件において、訴外藤井公証人は、その書記の報告によれば、亡トカレフは署名する意思はあったが手が震えてうまく書けず、他の用紙を用いて署名を試みさせたところ手の震えのために署名と呼ぶに値するものが書けなかったとのことであったので、署名をさせても所定の行間に収まらないであろうと判断し、署名不能と認定した上代署を行った。
公証人による代署が適法とみなされるためには、公証人において「遺言者が署名することができない場合」(民法九六九条四号)であると認定されることを要するところ、本件においては、①亡トカレフは歩行に困難をきたしてはいたものの、手は不自由ではなかったこと、②訴外藤井公証人は、亡トカレフが試みに他の用紙に書いた署名を自ら確認することなく、書記の報告のみにより署名とするにふさわしくないと判断していること、③亡トカレフは、生前ロシア語で署名する場合が多かったのであるが、同人がロシア語で署名したのであれば、ロシア語に馴染みのない書記がこれを見れば、署名の体を成さないものと認識する可能性があること、以上の諸点に照らすと、本件において、公証人は遺言者が署名可能であるか否かについて全く判断をしていないか、していたとしてもその方法が極めて不適当であり、遺言者の署名不能の事実なくして公証人が代署したものとみなされるから、本件遺言者は正当な理由なくして遺言者の自署を欠くものというべきである。
したがって、本件遺言は、民法九六九条四号に違反し、無効である。
6(遺言書押印の必要性について)
本件遺言書には、遺言者の押印があるものの、これは遺言者自らが押印したものではない。受遺者である訴外武田二三子は、訴外藤井公証人の指摘に応じて、亡トカレフの印鑑を作成し、これを亡トカレフに交付することなく自ら保管していたが、この印鑑を亡トカレフを経ることなく直接同公証人の書記へ手渡し、右書記がこれを本件遺言に押印したものである。
前記4のとおり、公証人が事前に作成した原案に基づき遺言公正証書を作成した場合に遺言者の口授の要件を充足するためには、その内容が遺言者の意思を正確に反映しているか否かを確認するための格別の具体的手段が講じられていることが必要であるところ、本件においては、遺言者が押印できない特別の事情もなく、遺言者の意思を確認するための重要な手段として遺言者自らの押印を求めるべき一層の必要性があるはずである。
右の事実関係からすれば、本件遺言書への押印は、亡トカレフの意思に基づき同人の面前で行われたものとは言い得ないものであるから、この点からしても、本件遺言は、民法九六九条四号に違反し、無効である。
7(証人が公証人の筆記に立ち会っていなかったことについて)
公正証書遺言書の作成に当たって、証人は、遺言者の公証人への口授、公証人による筆記及び読み聞かせ、遺言者、証人、公証人の署名押印の一連の作成経過に立ち会わなければならないものとされている。
しかしながら、本件遺言書の作成に当たり、証人二名は、いずれも公証人による遺言者の口述の筆記に立ち会っていないことが明白であるから、本件遺言は、民法九六九条一号に違反し、無効である。
四 被告及び補助参加人らの主張に対する答弁
1 被告及び補助参加人らの主張三1のうち、公証人法三四条一項の規定については認め、その余は争う。
本件遺言に際して訴外藤井公証人が通事の立会いを必要と判断したのは、日本語を解する者でも遺言は自国語で行わせてやりたいという配慮から出たものであり、亡トカレフが公正証書遺言を作成する上で必要な程度の日本語を理解していなかったためではない。本件遺言書中の「日本語を解しない」との文言の記載は、かかる書式の例文であって事実とは異なり、通訳を付けたことの説明として決まり文句的に記載されたにすぎない。
また、訴外メナハムを通事として選任したのは、亡トカレフから遺言書作成の委任を受けていた原告である。原告が亡トカレフの委任を受け、訴外武田二三子及び訴外アクセノフを通じて通事を選任し、亡トカレフの了解を得たものであるから、何らの違法も存しない。
亡トカレフは、一九二三年(大正一二年)九月一五日に日本に入国し亡命した白系ロシア人であり、当時無国籍者であったが、戦後ソ連国籍を取得し、ソ連人となった者であり、このように戦前から六〇年以上もの長きにわたって日本に滞在し、日本人を相手に洋服生地などの行商を行って生計を立ててきたことから、日本語をよく話し理解できる状態にあり、その結果商売の発展により資産を遺したものである。また、同人は、生涯独身であったことから、日常の買物、財産の管理、食事の準備などはすべて自分自身で行っていたものであって、日常的に日本語に不自由はなく、生活上の会話には何らの支障もなかったのである。
本件遺言に際して、訴外藤井公証人は、通事を立てた以上は通事を通じて手続を行うべきだと考え、すべての手続を通事を通じて行ったものであるが、亡トカレフ自身は同公証人の話す日本語を解しており、現に日本語でも遺言内容を説明していた。したがって、本件遺言書作成当時、亡トカレフに関しては、本来通訳の立会いを要するものではなかったのである。
2 同三2は争う。
公正証書遺言の証人欠格者は民法所定の者に限られ、公証人法の立会人の欠格事由に関する規定の適用はない。
3 同三3のうち、亡トカレフがソ連国籍のロシア人であること、本件遺言書の作成の際に通訳として立ち会った訴外メナハムがアメリカ人であることは認め、その余は否認し、争う。
亡トカレフが日本語をよく解する者であったことについては、前記(一)のとおりである。
訴外メナハムは、かつて米軍の情報係としてロシア部に勤務したことがあり、ロシア語を通訳する能力があった。現に、訴外メナハムが亡トカレフと日本語及び英語以外の言語で会話を交わしていたことは明らかである。亡トカレフは日本語で他の関係者と会話を交わしていたのであるから、仮に訴外メナハムのロシア語に問題があればすぐにそのことを他の関係者に指摘し得たのであるが、そのようなことはなかった。
4 同三4は争う。
本件では、亡トカレフから遺言書作成の依頼を受けた原告が、本人と日本語で直接打ち合わせてメモを作成し、このメモを訴外藤井公証人に示し、同公証人がこれを整理したものであって、同公証人の作成した原案には本人の意思が正確に反映されている。
しかも、同公証人は、昭和五九年八月二三日の一回目の面接の際、右メモが出ている点について本人に間違いがないかと確認した上、項目ごとにその内容の確認をしている。このとき通訳をした在日ロシア人訴外アクセノフの日本語及びロシア語の能力が十分であることは明らかである。本来通事は嘱託事項につき密接な利害関係を有していても差し支えないのであるが、同公証人は慎重を期して手続を延期したのである。
そして、同年九月六日の二回目の面接の際、同公証人は、右メモを再度一気に読み上げて、それに対する亡トカレフの口頭の返事を得ている。答えの中には、「はい。」という簡単なものだけではなく、より詳しく中味に立ち入ったものもあった。
本件では、筆記が先になされているものの、その後に本人の意思が口授により確認されているのであるから、何の問題もない。
5 同三5のうち、本件遺言書作成に際して亡トカレフは署名する意思はあったが手が震えてうまく書けず、他の用紙を用いて署名を試みたところ手の震えのために署名と呼ぶに値するものが書けなかったこと、書記からその旨の報告を受けて、訴外藤井公証人は亡トカレフに署名をさせても所定の行間に収まらないであろうと判断し、署名不能と認定した上代署を行ったことは認め、その余は争う。
署名不能の認定については、公証人にある程度の裁量権が認められるべきであり、本件においてもその判断を不当とすべき理由はない。
6 同三6のうち、印鑑を公証人の書記が押捺したことは認め、その余は否認し、争う。
遺言者の押印は必ずしも必要とされず、公証人又はその書記が遺言者に代わって押印を行っても、公正証書遺言の手続に違背しない。
7 同三7は争う。
証人が筆記に立ち会うことは公正証書作成の有効要件とはいえない。本件においては、証人が口授に立ち会っており、証人の立会いに関しては何ら問題がない。
五 抗弁(被告及び補助参加人ら)
1(本件遺言の無効原因Ⅱ――意思能力の欠如)
(一) 亡トカレフは、遅くも昭和五八年一月ころから進行性の脳血管障害のためしばしば意思能力を失うことが多く、特に死亡する三箇月ほど前の昭和五八年八月ころからは、常時意思能力を欠如していた。
また、亡トカレフは、昭和五八年八月末ころから死亡するまで、青木病院、聖母病院、城南病院及び長汐病院への入退院を繰り返していたが、このように僅か一年ほどの間に幾多の病院を転々としていたのは、いずれの病院でも、同人が前記の脳血管障害のために奇異な行動を行い、他の患者に迷惑をかけるため、入院を継続することができなかったからである。
すなわち、その当時、亡トカレフは、千円札と一万円札の識別もできなくなっており、病院で食事を運んでくる人に対してナイフを投げつけたり、椅子やソファーでバリケードを積み上げたり、真夜中に廊下で大声をあげて他の患者に迷惑をかけ当直の看護婦を困惑させるなどの異常な症状を呈していた。
以上のとおりであるから、本件遺言書が作成された昭和五九年九月六日当時、亡トカレフには、意思能力が常時完全に欠如していたことは明らかである。
(二) 本件遺言の実質的成立要件(遺言能力)の有無に関しては、法例二六条一項により亡トカレフの本国法であるロシア連邦共和国民法典(一五条)によって決定されるべきものであるところ、同法典一五条に定める遺言能力とは、日本民法における意思能力と同一程度の精神能力と解される。
したがって、本件遺言は、ロシア連邦共和国民法典一五条に照らし、意思能力の欠如により無効というべきである。
2(本件遺言の無効原因Ⅲ――禁治産宣告の存在及び本件遺言の手続違背)
(一)(日本国駐在のソ連総領事による禁治産宣告の存在)
東京駐在ソ連総領事訴外ゲー・エム・カルプシキン(以下「訴外カルプシキン総領事」という。)は、昭和五九年一月三〇日、亡トカレフについて、ロシア連邦共和国民法典一五条の「精神病あるいは精神薄弱のために、自己の行為の意義を理解するか、あるいは、それを支配することのできない市民」に該当する行為無能力者と認定し、同人につき禁治産宣告(以下「本件禁治産宣告」という。)を行い、訴外ニコライ・バクダノフ(以下「訴外バクダノフ」という。)を後見人に選任した。
(二)(日本国駐在のソ連総領事による禁治産宣告の効力)
本件禁治産宣告は、以下のとおり、本国法(ロシア連邦共和国民法典)に基づき、ソ連の国内法上審理権限及び管轄権を付与され、日本法によってもその権限を承認された本国の国家機関である日本国駐在のソ連総領事によって、本国法所定の手続(ロシア連邦共和国民事訴訟法典)に準拠して適法に行われたものであって、その効力は被宣告者の居住地である日本国内においても承認されるべきであり、日本の家庭裁判所による禁治産宣告と同様の効力を認められるべきものである。
(1)(日本国駐在のソ連総領事の権限の範囲について)
ソ連の国内法であるソヴィエト社会主義共和国連邦領事憲章(以下「領事憲章」という。)の規定(三一条)によると、ソ連から派遣される領事官は、当該接受国との関係において「居住地の国の法律で禁止されていない場合」でない限り、右接受国内の自国民について、禁治産宣告を初めとする各種の裁判審理の権限を有していることが明らかである。
(2)(日本国駐在のソ連総領事の権限の承認について)
亡トカレフの居住地(当該接受国)である日本国の法律において、日本国駐在のソ連総領事の自国民に対する禁治産宣告の決定権限の行使は、以下のとおり、その一般的な裁判審理の権限の一部として承認されているものと解すべきである。
すなわち、日本国とソ連との領事関係については日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の領事条約(条約一四号。以下「日ソ領事条約」という。)によって規定されているところ、右の日ソ領事条約においては(二九条一項、三〇条ないし四二条参照)、日本国内に居住する自国民に対する日本国駐在のソ連の領事官の裁判審理の権限については、何ら禁止も制限も加えられていないというべきであり、禁治産宣告の決定権限の行使に関しても、特にこれを禁止又は制限する規定はなく、「接受国の法令に反しない」限り領事官の一般的職務内容の一部として承認される旨定められている(二九条一項後段)。
そして、禁治産宣告の管轄権に関しては、法例四条二項の規定は、本国に禁治産宣告の原則的管轄権が存在することを予定する形式をとっており、また、家事審判法七条において準用する非訟事件手続法二条は、日本の裁判所に在外日本人に対する管轄権を認めており、本国の裁判所についても在日外国人に対する管轄権の存在を認める趣旨を類推することができるのであって、以上の各規定に徴すると、日本国駐在のソ連の領事官が在日ソ連人に対して本国法に基づいて禁治産宣告をする権限があることは、日本法上原則的に承認されているというべきである。
このように、日本国駐在のソ連総領事の自国民に対する禁治産宣告の決定権限の行使に関しては、日本法上これを否定すべき根拠は全くなく、むしろ積極的に承認されていると解さざるを得ない。
(3)(本件禁治産宣告の手続的適法性について)
ア 本件禁治産宣告の具体的手続の詳細は、以下のとおりである。
訴外カルプシキン総領事は、昭和五八年末ころまでの間に、亡トカレフの異常な行動や病状などについて同人の知人であるロシア人訴外バグダノフ及び訴外マルコフ神父からの報告等により各種の情報を得ていたため、昭和五九年一月初旬、訴外オクニエフ一等書記官に対して後見人選任(領事憲章三三条二項)の可否検討のための事実調査を下命し、同人を亡トカレフの入院先である聖母病院に派遣するとともに、訴外バクダノフに対して亡トカレフの主治医訴外エフゲニー・アクセノフ(以下「訴外アクセノフ」という。)に依頼して亡トカレフの精神状態についての正規の診断書を入手するように指示した。
訴外オクニエフ一等書記官の調査の結果では、訴外バグダノフ及び訴外マルコフ神父の報告が真実であったことが裏付けられ、右調査結果は直ちに訴外カルプシキン総領事に報告された。また、同総領事は、同月三〇日、訴外バグダノフを介して、亡トカレフの精神状態についての主治医訴外アクセノフ作成の鑑定診断書を受領した。
そこで、訴外カルプシキン総領事は、右同日、領事憲章三一条に基づき、ロシア連邦共和国民事訴訟法典の規定に準拠して、在日本国ソ連大使館領事部において、主治医訴外アクセノフ作成の鑑定診断書、訴外オクニエフ一等書記官の報告、訴外バグダノフ及び訴外マルコフ神父の報告等を審理の資料として審判を行い、即日亡トカレフにつき禁治産宣告をし、訴外バグダノフを後見人に選任した。
なお、亡トカレフ自身は、右禁治産宣告及び後見人選任の決定の当日には聖母病院に入院中で在日本国ソ連大使館領事部に出頭できない状態であったため欠席した。しかし、右宣告及び選任の決定書は、訴外カルプシキン総領事の委任により、数日後に聖母病院に赴いた後見人訴外バグダノフによって適法に告知された。
イ 領事憲章三一条の規定は、ソ連から派遣される領事官による裁判審理の権限行使について、「ソ連邦と各連邦の訴訟手続に準拠して処理をする」ものと定めているが、右「準拠」の意味は、ソ連本国の裁判所において裁判審理する訴訟手続の場合と詳細な点についてまで全く同様に処理することを要求しているものではなく、例外的に領事官に前記権限が与えられた趣旨及び禁治産宣告が本質的に急を要する非訟事件である点から合理的に解釈運用されるべきであり、領事官が禁治産宣告の審理決定をするについては、ソ連国内の民事訴訟手続の規定の本質的部分並びに非訟事件の本質及び在外自国民保護の目的に反しない限度において合理的に処理することが許容されているものとみるべきである。
右の趣旨において前記アの本件禁治産宣告の手続を検討するならば、右宣告は手続的にも適法に処理されていることが明らかである。
また、仮に本件禁治産宣告の手続に手続法上の何らかの軽微な瑕疵が存在したとしても、その暇疵が存在することによって本件禁治産宣告が直ちに不存在ないし無効となるものではない。
(4)(禁治産宣告の渉外的効力)
このように、本国法に基づき、本国法上管轄権のある本国の国家機関によってされた禁治産宣告の効力は、被宣告者の本国内においてはもちろんのこと、被宣告者の居住地、行為地においても承認されるべきものである。
したがって、日本国駐在のソ連総領事によって行われた本件禁治産宣告に関しては、日本国内においてもその効力を承認されるべきであり、日本の家庭裁判所による禁治産宣告と同様の効力が認められるべきものである。
(三)(本件遺言の手続違背)
禁治産者が本心に復した時において遺言をするには、医師二人以上の立会いがなければならず、遺言に立ち会った医師は、遺言者が遺言をする時において心神喪失の常況になかった旨を遺言書に附記して、これに署名捺印しなければならないが(民法九七三条)、訴外藤井公証人は、この手続を全く履践せず本件遺言書を作成した。
したがって、本件遺言は、民法九七三条の定める方式に違反し、無効である。
また、本国法であるロシア連邦共和国民法典によれば、前記のとおり、意思無能力者のした遺言はそもそも無効とされているのであって、遺言の方式の準拠法に関する法律二条によっても、本件遺言が無効であるという結論に変わりはない。
六 抗弁に対する答弁
1(一) 抗弁1(一)のうち、亡トカレフが昭和五八年八月末ころから死亡するまでの間青木病院、聖母病院、城南病院及び長汐病院に入院していたことは認め、その余は否認する。
(二) 同2(二)は争う。
ロシア連邦共和国民法典五六七条によれば、「遺言の成立及び取消、またその方式は、遺言者が遺言作成時に有していた最後の定住所地の国の法律による。」とされており、亡トカレフの最後の定住所地は日本であるから、法例二九条により反致が成立し、遺言の成立については日本法が適用される。
2(一) 同2(一)は否認する。
(二) 同2(二)のうち、領事権限に関するソ連国内法の規定については不知、その余は争う。
(三) 同2(三)は争う。
七 抗弁に対する原告の反論(抗弁2に対し)
1(領事権限の承認の問題について)
禁治産宣告は、個人の行為能力を剥奪するものであり、公権力の行使となるものであるところ、国際法上、特定の国家の国家機関による公権力の行使が可能なのはその国家の自国領域内に限られるのが原則であり(属地主義の原則)、自国民であっても、外国の領域内にある限り、国家は原則として当該国民に対して権力作用を行うことができないのである。特に、領事が司法権を行使するのはいわゆる「領事裁判制度」であり、不平等条約に基づく治外法権の典型として日本では一八九九年に廃止されたところであって、現在主権国家においてこのような制度を許容することはない。また、領事関係に関するウィーン条約(一九六三年採択条約一四号。日本の加入は一九八三年。ソ連は加入していない。)には領事機関に禁治産宣告の権限を認める規定は存在しないし、国際慣行上も領事機関に禁治産宣告の権限を認める例はない。このように、領事機関が接受国において自国民に対し禁治産宣告をすることは、接受国の領域主権を侵害することになり、国際条約、国際慣行上も認められていないのであって、これが例外的に許容されるためには、当該接受国の同意の存在が必要となる。
そこで、日ソ領事条約において、日本国がソ連に対してそうした同意を与えているか否かが問題となる。
同条約は二九条一項前段において、「領事官は、その領事管轄区域内において、この部に定める職務を遂行する権利を有する。」と定めるとともに、領事の権限として許容される「この部に定める職務」として、三〇条から四二条までに個別的かつ詳細にその内容を列挙している。しかるに、右列挙事項を掲げる諸規定の中に禁治産宣告に関する規定は存在せず、かえって、三七条は、領事官に後見人の推薦の権限のみを認めるにとどまっているのである。
被告及び補助参加人は、同条約二九条一項後段の「接受国の法令に反しないその他の領事職務」に含まれるものとして領事の禁治産宣告の権限を肯定すべき旨主張するが、自国の領域主権の侵害を特に例外的に許容するのに、このように「その他の領事職務」という規定に委ねるということはあり得ない。
したがって、右のとおり積極的な承認規定が存しない以上、日ソ領事条約において日本国駐在のソ連総領事につき禁治産宣告の権限は否定されているというべきである。
2(禁治産宣告の管轄について)
禁治産宣告の管轄に関しては、本国の管轄を否定して居住地国の管轄のみを認めるべきであり、法例四条二項の規定は、例外的に居住地国の管轄を認めたものではなく、専ら居住地国の管轄を認めた規定と解すべきである。
このように、禁治産宣告に関しては、そもそも本国であるソ連の裁判機関の管轄権自体が認められないのである。
3(本件禁治産宣告の手続上の問題について)
抗弁3(一)(3)の主張自体からも明らかなように、本件禁治産宣告は、以下のとおり、ロシア連邦共和国民事訴訟法典の定める手続に全く依拠していないことが明らかであり、手続上無効である。
(一) 本件禁治産宣告の審判の開始に当たっては、ロシア連邦共和国民事訴訟法典二五八条の定める申立権者による申立てが存在しない。
(二) 同法典二六〇条は、当該市民の精神的状態を決定するための精神医学的鑑定を必要的な要件として義務付けているのに、本件ではその鑑定は行われておらず、鑑定人の資格のない内科医訴外アクセノフの診断書のみによって宣告がされている。
(三) 同法典二六一条二項により審理の必要的立会人とされている当該市民本人、検察官及び後見補佐機関が本件審理に立ち会っていない。
(四) 同法典一九〇条、二二三条による、判決又は決定は裁判所(審理機関)によって告知されるべきものとされているが、亡トカレフに対する本件禁治産宣告の告知は、後見人である訴外バグダノフを介して口頭でされたにすぎない。
4(禁治産宣告の渉外的効力について)
外国の国家機関の決定した禁治産宣告は日本では効力はなく、在日外国人を禁治産者とするためにはその者につき新たに日本の裁判所で禁治産宣告をしなければならないと解すべきである。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(本件遺言)について判断する。
1 亡トカレフがソ連国籍を有するロシア人である事実及び本件遺言書の存在の事実については、当事者間に争いがない。
本件遺言書の作成に至る経緯及び作成手続に関しては、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 亡トカレフは、一八九〇年(明治二三年)三月一二日で現在のソ連のロシア連邦共和国ヴォロネジ州において出生したロシア人であるところ、一九二三年(大正一二年)ころ日本に入国し、以後日本各地で日本人を相手に洋服、生地などの行商を行って生計を立て、第二次世界大戦後ソ連国籍を取得したが、その後も日本に滞在して行商等の仕事を続け、後記五(請求原因2)のとおり昭和五九年一一月三日九四歳で死亡するまで約六〇年間にわたって日本に居住していた者である。亡トカレフは、洋服、生地などの行商の仕事を発展させて衣料品販売の店舗を経営するなど、衣料品の販売業によって財産を築き、東京都目黒区及び同港区内にそれぞれ別紙物件目録(一)及び(二)記載の各土地建物(以下「本件土地建物(一)」及び「本件土地建物(二)」といい、建物のみをさすときは「本件建物(一)」及び「本件建物(二)」という。)を取得するとともに、老後の生活を維持するに十分な多額の預金を貯え、七〇歳を過ぎた昭和三〇年代後半ころ以降はそれらの仕事からも離れて、東京都目黒区内の本件土地建物(一)に居住して従前貯えた預金を生計の基礎として生活していた。
(二) 亡トカレフは生涯独身で過ごし、妻や子などの家族は全くいなかったが、昭和四〇年ころ知り合った訴外武田二三子(以下「訴外二三子」という。)との間では、その後昭和四五年に同人が結婚した後も夫の訴外武田年義(以下「訴外年義」という。)及び右夫妻の子供達をも交えて家族ぐるみの交際を続けていたところ、昭和五一年ころ訴外年義の経営する会社の事業難の折に亡トカレフが資金を融資したことなどを契機として交際が深まり、その後は亡トカレフが右夫妻(以下、右夫妻について「訴外武田夫妻」という。)の自宅に食事に招かれたり、訴外二三子が頻繁に亡トカレフの自宅を訪ねて同人の食事の世話をするなどの行き来が続くようになった。亡トカレフは、子供好きの性格から訴外武田夫妻の二人の子供に強い愛着を抱いており、かかる親密な交際が始まって一年ほど過ぎた昭和五二年ころから、その子供達のために自分が当時住んでいた目黒区内の本件土地建物(一)を自分の死後訴外武田夫妻に与えたい旨を右夫妻に対してしばしば告げるようになった。
なお、亡トカレフは、昭和四六年一月以降同人の住居である本件建物(一)の一部を同人から賃借して居住していた訴外ガールムシエワ・エフゲニヤ・ニコラエヴナ(以下「訴外ニコラエヴナ」という。)及びその長女訴外兵藤エミ(以下「訴外兵藤」という。)とも親密な交際があり、昭和五六年一一月三〇日に訴外ニコラエヴナが海外に移住するまでの間同女からしばしば身の回りの世話を受けていた。また、同年末に訴外兵藤の家族(夫、長男及び夫の母)が右建物に移り住んでからは、賃貸の条件として訴外兵藤から週二回掃除洗濯等の手伝いを受けていた。
(三) その後、亡トカレフは、昭和五七年に入って足腰の衰えと腰の痛みを感じていたところ、同年一一月末ころ風邪を引き、自宅で転倒し腰を打って動くのが困難な状態になったため、目黒区の青木病院で受診したところ、同病院の訴外青木茂正(以下「訴外青木」という。)医師によって肝硬化症(肝不全)、変形性脊椎症、骨粗鬆症及び紫斑病と診断され、通院に困難を感じた本人の希望により同病院に入院し翌昭和五八年一二月初旬ころまでの間治療を受けた。入院後二箇月程で足腰の状態は改善され、訴外青木医師から亡トカレフに対しては退院の勧めもあったが、一人暮らしの同人は病院での生活を希望したため、その後も約一年間入院生活は続けられた。右入院の期間中、訴外二三子は、頻繁に同病院へ赴いて亡トカレフを見舞い、その身の回りの世話をするなどしていたところ、昭和五八年夏ころ、同訴外人は入院中の亡トカレフから、死後土地建物などの財産を譲り渡すにはどうすればよいかとの相談をもちかけられたため、以前他の件で依頼したことのある弁護士である原告に連絡をとり、同病院に赴いて亡トカレフに説明をするよう依頼した。そこで、原告が同病院に赴きその病室で訴外二三子立会いの下で亡トカレフと面談したところ、亡トカレフは、原告に対して死後土地建物などの財産を譲り渡すにはどうすればよいかと質問し、原告から公正証書遺言の具体的方法等について説明を受けた。なお、その間、亡トカレフの住居の一部に居住していた訴外兵藤も、しばしば同病院を訪れて亡トカレフの世話をしていた。
その後、昭和五八年一二月初旬ころ、亡トカレフは、その知人である在日ソ連人訴外ワレリー・フイリップ・シュウエツ(以下「訴外シュウエツ」という。)らによって青木病院から聖母病院に移され、本人の意思に反して同訴外人らによって現金の一部と預金証書類を管理され、金銭の出納を自由に行えなくなり、それらの返還を求めてもこれを強く拒絶されたことから一時的に精神的に不安定な状態に陥ったが、その後も訴外兵藤を通じて再三その返還を求め続け、同訴外人による交渉の結果翌昭和五九年三月ころ同訴外人を通じてようやくその返還を受けるとともに、精神的にも再び安定を取り戻した。
その間、亡トカレフは昭和五九年二月ころ城南病院へ、同年三月ころ長汐病院へと転院し、同年四月末には退院して訴外武田夫妻の自宅(以下単に「訴外武田宅」という。)に引き取られ、以後右夫妻の介護の下で生活するようになった。その後、夏に入って、訴外武田宅の冷房が故障した際、亡トカレフは脱水症状となり食欲が減退したため、昭和五九年七月五日から一三日までの間再び青木病院に入院した。その際にも、前回の入院の際の肝硬化症(肝不全)、変形性脊椎症もみられたが、これらは慢性の症状であり、脱水症状が軽快し食欲が回復すると亡トカレフは自らの意思で退院し、訴外武田宅に戻った。
(四) 右退院後、同年八月に入って、訴外武田夫妻は亡トカレフから、以前に原告から説明を受けた書類を作成したいので原告を呼ぶようにとの要請を受け、原告に連絡をとったところ、原告から遺言書の内容についての具体的なメモを作成するようにとの指示を受けた。そこで、訴外二三子は亡トカレフから、どの物件を誰に与え、預金のうちいくらを誰に与えるかとの点について同人の意思を確認し、その聴取に係る内容をメモとして記載した。右メモの内容は、最終的に作成された本件遺言書と基本的には同一であり、訴外武田夫妻に本件土地建物(一)を、亡トカレフの友人かつ主治医であり同人から本件建物(二)を病院用建物として賃借している訴外アクセノフに本件土地建物(二)を、ロシア正教会、訴外兵藤、訴外バグダノフ及び訴外タチアーナ・イヴアノヴナ・ヒッチエンコ(以下「訴外ヒッチエンコ」という。)にそれぞれ現金を与え、訴外アクセノフについては爾後亡トカレフの生存中無償で治療行為その他の援助を行い死後は葬儀、埋葬等一切を主宰することを条件とするというものであった。訴外バグダノフは、やはり亡トカレフと親しい在日ソ連人の一人であり、また、訴外ヒッチエンコは、亡トカレフが同女の幼児洗礼の際ロシア正教における代父を務めた女性であり、在日ソ連人の間では実の父娘ではないかとの噂があったほど父娘のような交際を続けており、たびたび亡トカレフを病院に見舞っていたほか、一時は認知請求の訴えをも考えたことのある女性であった。
右メモの作成後訴外二三子からの連絡を受けて訴外武田宅に赴いた原告は、亡トカレフと面談し、右メモの内容について本人と話し合い、それが同人の意思に基づくものであることを確認した上で、遺言書の作成について同人から正式に依頼を受け、従前の説明のとおり公正証書遺言の形式によることとし、同人の足腰が弱っているため公証人の出張を求めることにして、同人の了承を得た。その際、原告は、右面談の際に亡トカレフから確認した同人の最終的な案に従って自らメモを作成した。右メモに記載された最終案においては、現金の遺贈の金額の点が一部変更され、また、原告の判断で遺言執行者を原告とする旨の条項が付加されたが、それ以外はすべて訴外二三子の作成したメモと実質的な内容は同一であり、遺言執行者指定の点についても亡トカレフの了解が得られた。右メモの内容は、後に原告と訴外藤井公証人との打ち合せの際に挿入された第四条の点を除いてはすべて最終的に作成された本件遺言書と同一であった。
そこで、原告は、同年八月一七日、訴外藤井公証人に対し遺言公正証書の作成及びそのための出張を依頼し、手続の日を同年八月二三日と決定して、亡トカレフ及び訴外武田夫妻にこれを告知した。右一七日の手続依頼の際、訴外藤井公証人は、原告から、亡トカレフとの面談の際原告自ら作成した前記メモに基づいて遺言内容の説明を受け、その写しの交付を受けるとともに、原告との協議の結果、その余の財産の取扱いについてこれを同人の生存中及び死後における最大の責任者となるべき訴外アクセノフに遺贈する旨の条項(本件遺言書第四条)を付加し、不動産の登記名義の表示を工夫するなど、若干の記述的事項について補充を行った。また、その際、原告から訴外藤井公証人に対し、前記のとおり亡トカレフは当時既に約六〇年間にわたって日本で生活してきた者であるから日本語をよく理解し日常会話には全く支障はなく、遺言の件についても原告と日本語で打合せをするなど日本語で理解し表現する能力は十分有していることの説明がされたが、訴外藤井公証人は、外国人の遺言については、遺言の重大性及び遺言者の意思尊重の必要性にかんがみ日本語を解する者についてもその母国語で遺言をさせるべきであり、手続に当たっては通事を付けるべきであるとの考えを述べたため、原告から、ロシア人の通事として訴外アクセノフを同行する旨の申出がされていた。そこで、右同日の手続には、亡トカレフ本人の賛同を得た上で、訴外アクセノフに対しても出席の要請がされた。
また、訴外藤井公証人は、事前に遺言内容を記載したメモが提出されている場合にはそれに従ってあらかじめ遺言公正証書の原案を作成しておくのが通例であることから、右慣例に従い、右一七日の原告との打合せ後同月二三日までの間に、右打合せの際に原告から交付を受けた原告作成のメモの写しに基づき、これに前記の打合せ事項を補充した上、所定の用紙にその内容を実際の文例に従って記入して証書の原案を作成し、これを右手続の当日持参することにした。このように事前に同公証人によって作成された証書の内容は、すべて最終的な本件遺言書(別紙記載のとおり)の内容と全く同一であった。
(五) 以上の経緯を経て、右昭和五九年八月二三日、東京都品川区八潮五丁目一番一―四〇六号所在の訴外武田宅に、亡トカレフ、訴外武田夫妻、原告及び訴外アクセノフが集まったほか、原告の実父でその事務員である訴外横谷七造(以下「訴外七造」という。)が原告と共に証人として立ち会うために原告に同行し、そこへ約束に従い訴外藤井公証人が、遺言手続の際常に補助者として同行させていた書記の訴外佐久間某を伴って到着した。右当日、訴外藤井公証人は、前記のとおり事前に作成した証書を持参していた。同公証人の到着後、訴外武田夫妻は隣接する別室に待機し、原告及び訴外七造は証人として、訴外アクセノフは通事として居間に残り、手続開始の準備が行われた。訴外藤井公証人は、亡トカレフ及び訴外アクセノフとの間で意思の疎通を計るため、しばらくの間三人の間で雑談を交わした後、訴外アクセノフを通事として手続を開始し、同訴外人の通訳を介して亡トカレフに対し、まず事前に受領した遺言内容を記載した原告作成のメモについてそのとおり間違いない旨を一般的に確認し、次いで右メモに基づいて事前に作成した前記の証書の原案に基づき各項目ごとに個別的に遺言の内容について確認を行ったところ、亡トカレフは、各項目についていずれもそのとおり間違いない旨を回答し、また、訴外アクセノフを介しあるいは直接日本語で、訴外藤井公証人に対し遺言の各項目について自らその内容についての説明等を行った。訴外藤井公証人は、右確認を終えた上で、右証書の原案について訴外アクセノフを通じ改めて遺言内容全体を読み聞かせ、亡トカレフに署名を求めようとしたが、その段階で、通事を担当した訴外アクセノフが同時に受遺者でもあることにつき手続上問題があるのではないかとの懸念を抱くようになり、その日はそこまでで手続を中断し、後日改めて受遺者以外の通事を通して手続を行うことに決定した(もっとも、実際には、通事に関しては、公証人法上もその資格に何ら制限はなく、通訳に必要な語学力を有する者である以上、嘱託事項につき密接な利害関係を有するものであっても差し支えなかったのであるが、同公証人としては、手続の適正につき慎重を期するために手続を延期したものである。)。そして、訴外藤井公証人がその旨を一同に対して説明している間、平素から遺言者の署名能力の鑑別を同公証人から任されて担当している同公証人の書記は、通例に従って署名の可否を確認するため亡トカレフに別の用紙を用いて署名を試みさせていたが、同人は当時手に震えを来していたために所定の行間に収まらず、署名の体を成さず判読不能の状態であったことから、署名不能と判断し、その旨同公証人に報告した。同公証人は、書記の判断により判読不能で署名と認めるに足りる記載がされない場合には署名不能と認定し民法の規定に従い代署に切り替えるという取扱いを通常行っていたことから、右報告を受けて、本件についても右取扱いによるべきであると判断した。その際、亡トカレフから同公証人に対し、印鑑ではどうかとの問い合わせがあり、同公証人もその作成を勧めたため、亡トカレフ及び訴外二三子の要望に従い訴外アクセノフが次回の手続の日までに用意することとされた。また、通事についても、前記の訴外藤井公証人の指摘を受けて、原告及び訴外二三子の要請に従い、訴外アクセノフが受遺者以外の者でロシア語に堪能な者を連れて来ることとされた。そして、訴外藤井公証人は、次回の手続の日を同年九月六日と決定し、当日改めて手続をやり直す旨を一同に告げた。
(六) 同年九月六日、前記の訴外武田宅には再び亡トカレフ、訴外武田夫妻、原告及び訴外七造、訴外アクセノフが集まったほか、受遺者以外の通事として訴外アクセノフの経営する病院に勤務する医師であり亡トカレフとも面識のある訴外メナハムが訴外アクセノフに同行し、そこへ訴外藤井公証人が前回と同様書記を伴って到着した。亡トカレフは、訴外メナハムとは以前から面識があったことから、すぐに挨拶を交わし、歓迎の意を表した。訴外藤井公証人は、前回と同様訴外武田夫妻を隣接する別室に待機させ、原告及び訴外七造を証人とし、訴外メナハムを通事として直ちに手続を開始し、同訴外人の通訳を介して亡トカレフに対し、前回と同様、事前に作成し前回確認を行った前記の証書の原案について各項目ごとに個別的にその内容について問答を交わして確認を行い、亡トカレフからいずれもそのとおり間違いない旨の回答を受け、改めて右証書の原案について遺言内容全体の読み聞けを行った。その間、亡トカレフは、終始訴外メナハムの通訳を介して訴外藤井公証人と問答を交わし、通訳の内容や確認及び読み聞かせを受けた内容について何ら異議を述べることがなかった。署名については、同公証人は当日改めて書記を通じ亡トカレフに別の用紙を用いて署名を試みさせたが、前回と同様手の震えのために所定の行間に収まらずに署名の体を成さず判読不能の状態であり署名不能と判断されるとの報告であったため、同公証人は、前回の方針のとおりこれを署名不能と認定し、亡トカレフの承諾を得た上で、民法の規定に従って前記の証書に自ら代署しその旨を例文に従い付記した上で署名押印をした。また、当日用意された亡トカレフの印鑑については、同公証人の書記がこれを預かってその場で押印した。また、前記のとおり亡トカレフは日本語をよく理解し日常的な生活上の会話には何らの支障もなく、同公証人とも遺言内容その他につき日本語で会話をしていたのであるが、手続自体は通事を通して行われたことから、訴外藤井公証人は、事実に符合しない部分があることを認識しつつ、遺言書上には、かかる場合の例文として「遺言者は日本語を解しないから通事をして証書の趣旨を解釈せしめ」との文言を記載した。そして、右一連の手続に立ち会った原告及び訴外七造は証人として右証書に署名押印し、通事を担当した訴外メナハムもこれに署名をし、以上をもって本件遺言書作成の手続は終了した。
右二回にわたる一連の手続の過程で、亡トカレフは、遺言内容及びこれに関連する事柄について自ら訴外藤井公証人に対し説明や感想等を述べたほか、遺言内容以外の事柄についても訴外藤井公証人との間で会話を交わしており、自分もかつて海軍の将校であったこと、国籍を取得するために一時半年位ソ連に帰国したことがあることなどのほか、当日自分のことを考えてくれる人が大勢集まってくれたことを嬉しく思っている旨の同人の心境等を語り、それらの発言や会話の中には日本語で直接語られたものも多く含まれていた。そして、右手続の終了後、亡トカレフは、当日特に通訳のために訴外武田宅を訪れた訴外メナハムに対しても丁重に謝辞を述べた。
(七) なお、訴外武田宅に引き取られて以後、亡トカレフは、訴外武田宅の近隣の人々に対し、本件遺言書を作成する前から、目黒の土地建物(本件土地建物(一))はいずれも訴外武田夫妻のものになる旨を再三告げており、本件遺言書作成後は、従前言っていたとおり遺言書を書いた旨述べるなど、本件遺言の内容について頻繁に自ら近隣の人々に対して語っていた。
以上の事実が認められ、証人武田二三子の証言中右認定に反する部分は採用することができず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上認定の事実関係を前提として、本件遺言書作成手続の適法性の有無、右記載内容に沿う遺言の意思表示の成否について、以下、被告及び補助参加人らの主張に沿って順次判断することとする。
2(一) 被告及び補助参加人らの主張3(一)(適法な通事を欠くことについて)について
通事の選任に関しては、前記認定の事実関係、すなわち、原告と訴外藤井公証人との間の事前の打合せの際に、亡トカレフから遺言書作成の依頼を受けた同人の代理人である原告の申出により訴外アクセノフを通事として同行することが決定され、亡トカレフの賛同を得た上で八月二三日の第一回の手続日には訴外アクセノフが通事として呼び出されたこと、手続の過程で右アクセノフが同時に受遺者であることにつき訴外藤井公証人が手続の適正の面から疑義を抱き、受遺者以外の者を改めて同行するようにと要請したため、原告ら一同からの要望により訴外アクセノフにおいて適当な者を次回同行する旨が約されたこと、そこで九月六日の第二回の手続日に訴外アクセノフは自己の経営する病院に勤務する医師で亡トカレフとも面識のある訴外メナハムを同行したこと、亡トカレフは、右当日、訴外メナハムが到着するとすぐに挨拶を交わして歓迎の意を表し、同訴外人が通訳を行っている間その内容について何ら異議を述べずその通訳に従って手続が進行されるに任せ、手続終了後は当日特に通訳のために出向いてくれたことについて丁重に謝辞を述べていること、以上の一連の事実経過に照らすと、訴外メナハムの選任は、亡トカレフの代理人である原告が当初の通事予定者である訴外アクセノフを介して行ったものであり、これを亡トカレフが当日異議なく承認したものと認めるのが相当であって、遺言者の代理人である原告の選任に係る通事を遺言者(嘱託人)本人が承認している以上、公証人法三四条一項の要件に何ら欠けるところはなく、この点につき所論の違法を論ずる余地はないものというべきである。
なお、通事の資格については公証人法上も何ら制限はなく、当該嘱託事項について密接な利害関係を有する者であっても差支えはないのであるから、当初受遺者である訴外アクセノフが手続に通訳として関与したこと自体実際には手続上問題とはならないばかりでなく、訴外メナハムが訴外アクセノフの経営する病院に勤務する医師であり同訴外人と密接な関係を有する者であることについて別段手続上問題となる余地はないのであって、本件遺言に関して通事の資格及び選任につき手続法上の問題は何ら存しないものというべきである。
(二) 同3(二)(不適格者の立会いについて)について
公証人法三四条三項の規定は、同法三〇条及び三一条の定める「立会人」に関する規定であり、遺言の証人及び立会人は、右の公証人法上の「立会人」とは異なるから、これにつき右規定の適用はなく、専らその欠格事由を制限列挙した民法九七四条の規定の適用を受けるものと解されるところ、亡トカレフから遺言書作成の依頼を受けた原告及びその実父であり事務員である訴外七造は、いずれも右民法九七四条の欠格者に当たらないことが明らかである。
したがって、本件遺言書の作成は、何ら欠格事由の存しない証人二名の立会いの下に行われているのであり、民法九六九条一号所定の要件を満たすものであって、この点につき違法の問題を論ずる余地はないというべきである。
(三) 同3(三)(通事が通訳をするに足りるロシア語の能力を欠いていたことについて)
当時通事として立ち会った訴外メナハムによる通訳の状況に関しては、さきに前記一1(六)において認定した事実のほか、<証拠>を総合すると、亡トカレフの話せる言語はロシア語と日本語の二箇国語だけであり、同人は英語は話せなかったこと、訴外藤井公証人はロシア語は全く解さないが、かつてアメリカへの留学経験があり英語には堪能であること、同公証人による遺言内容の確認及び読み聞けの内容について、亡トカレフと訴外メナハムとは日本語及び英語以外の言語で話し合い意思の疎通を円滑に行っていたこと、亡トカレフはその間訴外メナハムの通訳について何ら異議を述べることなく、終始同訴外人の通訳に従って右の問答を行っていたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
以上の事実に照らすと、訴外メナハムが亡トカレフとの間で話していた言語はロシア語以外には考えられず、同訴外人が亡トカレフとの間で遺言内容の確認及び読み聞けの内容について意思の疎通を円滑に行っていた以上、訴外メナハムの通事としてのロシア語の能力には全く問題がなかったものと解するのが相当である。
したがって、通事のロシア語の能力の点を問題とする前記の所論は、採用することができない。
(四) 同3(四)(遺言者の意思確認のための手続(遺言者の「口授」等)の欠如について)
一般に、公正証書遺言に際して、公証人が事前に遺言者本人又は遺言者から依頼を受けた第三者から遺言内容を聴取し、あるいは遺言内容を記載した原稿の交付を受け、それらに基づいてあらかじめ証書の原案を作成しておいた場合であっても、公証人が改めて遺言者との間で遺言の内容について口頭で確認を行い、それによって、準備した証書の原案の内容が遺言者の意思と一致することを確かめた上で読み聞かせを行い公正証書を作成したときは、民法九六九条二号の口授と同条三号の筆記及び読み聞かせの順序が若干前後するにとどまり、遺言者の真意を確認しその正確を期するためにかかる遺言の方式を定めた同条の規定の趣旨に沿うものとして、遺言者の意思確認の手段につき同条に定める方式の履践に欠けるところはないものと解するのが相当である。
本件においては、前認定のように、訴外藤井公証人は、事前に、遺言者本人から依頼を受けた弁護士である原告から、原告が本人から聴取した遺言内容を記載した原稿の交付を受けるとともにその説明を聴取し、これに基づいてあらかじめ証書の原案を作成しておいたものであるところ、二回にわたって通訳を通じ亡トカレフとの間で遺言の内容につき各項目ごとに口頭で確認を行い、いずれもそのとおり間違いない旨の回答を得るとともに、亡トカレフの側からも遺言内容についての説明等を受け、それによって、あらたに挿入した項目(前記第四条)をも含めて準備した証書の原案の内容がすべて遺言者の意思と一致することを確かめた上で読み聞かせを行い公正証書を作成している。右事実の下においては、民法九六九条二号の口授と同条三号の筆記及び読み聞かせの順序が若干前後してはいるものの、各所定の手続はいずれもそれぞれ適切に履践されており、右一連の手続を全体としてみると、遺言者の真意を確認しその正確を期するために遺言の方式を定めた同条の規定の趣旨に沿うものというべきであって、遺言者の意思確認のための手段につき同条の定める方式の履践に欠けるところはないものと解するのが相当である。
また、署名及び押印が遺言者本人の手によってされなかった点については、後記(五)及び(六)において判示するとおり、それ自体法律上何ら問題はなく、本件の事実関係の下で適法な措置であったと認められるばかりでなく、署名及び押印の問題は民法九六九条二号の口授の要件と直接関連を有するものではないから、いずれにしてもそのことが遺言者の意思確認手段の履践の有無に関する右の認定を左右する余地はないというべきである。
したがって、本件遺言の手続において、民法九六九条二号所定の遺言者の口授の要件に欠けるところはなく、手続全体としても、遺言者の意思確認のための手段につき同条の定める方式の履践に欠けるところはないと認められるのであってこの点を問題とする前記の所論は、理由がない。
(五) 同3(五)(遺言者の署名不能の認定について)
本件においては、前記のとおり、訴外藤井公証人が平素から遺言者の署名能力の判定を担当させ、その取扱いに習熟していた書記をして亡トカレフの試みに書いた署名を審査させたところ、手の震えのために所定の行間に収まらず、署名の体を成さず判読不能であり署名不能と判断される状態であったため、通例に従い右書記の判断に依拠して署名不能と認定したというのであるから、公正証書遺言における代署の要件である「遺言者が署名することができない場合」(民法九六九条四号但し書)に該当する状況であったというべきである。
したがって、本件の状況の下で公証人が遺言者につき署名不能と判断して代署の方法を採用したことは、法律の定める代署の要件に照らし適法な措置であったというべきであり、この点を問題とする前記の所論は、理由がない。
(六) 同3(六)(遺言者による押印の必要性について)
代署による場合でも押印自体を省略することはできないとしても、これを遺言者が自ら行わずに他人に命じて押印させても差し支えはなく、公証人又はその補助者である書記が遺言者の意思に基づき遺言者の面前で即時に行えば適法であると解される。
本件においては、前記認定のとおり印鑑の作成については亡トカレフ自身がこれを自ら申し出、訴外アクセノフに手配をさせて作成した印鑑を同人を通じて公証人の書記に交付させ、右書記がその場でこれを遺言書に押印したというのであって、右事実関係に照らすと遺言者の意思に基づき公証人の補助者である書記によって遺言者の面前で即時に押印が行われたものと認められるのであって押印自体としても適法な措置がとられているということができる。
したがって、いずれにしても、押印の手続について所論の違法を論ずる余地はないものというべきである。
(七) 同3(七)(証人が公証人の筆記に立ち会っていなかったことについて)について
「公正証書遺言において、証人は、当該証書に記載される遺言の内容と遺言者の口授に係る意思内容とが完全に一致していることを審査するために、公証人が遺言者の真意を確認するための一連の手続を行っている間は終始これに立ち会うことを要するものと解されるが、本件のように公証人が事前に受領した原稿及び聴取結果に基づいて証書の原案を作成した上で手続に臨んでいる場合には、証人としては、公証人と遺言者との間の右原案の内容の確認及びその読み聞かせの手続に立ち会う限り、事前に作成された証書の原案の内容が各項目ごとに逐一口頭で確認され、更にその全文が読み聞かせられるのを自ら聴取するとともに、右証書に署名押印する際にこれを現認して内容を審査することになるのであるから、事前の起案の際にはこれに同席していなくても、当該証書に記載される遺言の内容と遺言者の口授に係る意思内容との同一性については十分にこれを審査することができるものというべきである。このような形態による遺言書作成手続の実質にかんがみると、事前に作成された証書の原案に基づいて手続が行われる場合においては、証人が公証人と遺言者との間の右原案の内容の確認及びその読み聞かせの手続に立ち会っている以上は、法律が証人の立会いを要求している趣旨を満たすものとして手続は適法と解すべきであり、証人が事前の起案の際にはこれに同席していなくても法律の要求する立会いの要件に欠けるところはないと解するのが相当である。
本件において、証人二名は、前記のとおり、訴外藤井公証人と遺言者亡トカレフとの間で、事前に作成された証書の原案の内容の確認及びその読み聞かせが行われる手続に一貫して立ち会っており、証書への署名押印に至るまでその場に同席して手続を現認していたのであるから、法律の要求する立会いの要件に欠けるところはないというべきであって、この点を問題とする前記の所論は、理由がない。
3 以上判示したとおり、本件遺言書の作成手続は、公正証書遺言に関する日本民法所定の各要件に照らし適法なものと認められ、また、前記1認定の事実関係に照らすと、右遺言書の骨子は、当時九四歳の高齢に達していた亡トカレフが、生前多大な援助を受け爾後の余生を託そうと考えていた訴外武田夫妻及び主治医の訴外アクセノフにそれぞれ重要な財産である土地建物を遺贈し(訴外アクセノフについては、爾後亡トカレフの生存中無償で治療等の援助を行い、同人の死後も葬儀、埋葬等一切を主宰することなどを内容とする負担が付されている。)、やはり生前援助を受けた訴外兵藤、訴外バグダノフのほか、ロシア正教上の代父を務めたことがあり現に父娘のような交際を続けていた訴外ヒッチェンコ及び自らの帰依するロシア正教会にそれぞれ現金を遺贈することなどをその内容とするものであって、それらの内容とともに右作成にいたる経緯、右作成時及びその前後の時期における亡トカレフの言動等を併せ考えると、すべて亡トカレフの真意に出たものと解されるというべきであり、右作成時の手続の状況に照らしても、本件遺言書に関しては、その内容に沿う亡トカレフ本人による遺言の意思表示が現実に存在したものと認められるというべきである。
そして、本件遺言において原告が遺言執行者に指定されていることは、さきに認定したとおりである。
そこで、かかる本件遺言の効力についてみるに、遺言の方法に関しては、遺言の方式の準拠法に関する法律二条により、その行為地法、遺言者の本国法、住所地法又は常居所地法、不動産の所在地法のいずれかにおいて適法であれば、当該遺言はその効力を承認されるものであるところ、以上判示したとおり、本件遺言はその行為地法であり住所地法でもある日本法上適式なものと認められるから、当然に方式上有効な遺言としてその方式の適法性を承認されるものというべきである。
そして、遺言の実質的な成立(遺言能力、意思表示の瑕疵の存否等)及び効力(効力発生の時期及び要件)に関しては、法例二六条一項によると、遺言作成当時における遺言者の本国法がその準拠法となるものと解されるところ、亡トカレフの右当時の本国であるソ連は、現在一五の共和国からなる連邦共和制をとっており、国際私法上のいわゆる不統一法国に当たる。このような不統一国中のいずれの法域の法律を選択するかについては、法例二七条三項に従いまず本国の準国際私法の定める基準に従ってこれを選択すべきものと解されるが、ソ連における準国際私法規定である「ソ連邦及び連邦構成共和国の民事立法の基礎」(以下「民事立法の基礎」と略称する。)一八条の規定からは、本件に関してソ連の各共和国中のいずれの法域の法律を選択すべきであるかは必ずしも明らかではなく、右のソ連における準国際私法の規定によってこれを決定することは不可能である。そこで、当該事案につき諸般の事情を考慮した上で当事者と最も密接な関連を有すると認められる法域の法律を選択すべきものと解されるところ、本件において亡トカレフは、本件遺言の時点から約六〇年前に来日し、以後九四歳で死亡するまでの間一貫して日本を生活の本拠として生活を続け、第二次世界大戦後にソ連国籍を取得した者であって、来日前のソ連国内における最後の住所、居所等は明らかではないが、その出生地については現在のロシア連邦共和国内のヴォロネジ州の出身であることが判明していること、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる丙第二七号証によると、亡トカレフはかつて、やはり現在のロシア連邦共和国に属するクバン地方の住民であったものと認められること、また、本件の補助参加人である亡トカレフの甥及び姪五名はいずれも現在ロシア連邦共和国内に居住しており、内二名は現在もなお亡トカレフの出生地に居住しており、内一名は現在前記クバン地方に居住していること、ロシア連邦共和国はソ連の一五の連邦構成共和国中最大かつ最重要の共和国であり、民法典の制定に当たってもまずロシア連邦共和国において法典化が行われ、他の共和国はこれを範として法典化を行っていることなどを併せ考えると、本件において亡トカレフに関しては、ロシア連邦共和国民法典をもってその本国法とするのが相当であると解される。
ところで、ソ連における国際私法規定である前記民事立法の基礎一二七条の規定は、特に相続全般に関して、「相続に関する関係は、被相続人の最後の住所地の国の法律によって定められる。」旨を規定する(同条一項)とともに、「人の遺言の作成及び取消の能力、ならびに遺言およびその取消行為の方式は、その行為時の遺言者の住所地の国の法律によって定められる。」旨を規定しており(同条二項本文)、右民事立法の基礎を受けて制定されたロシア連邦共和国民法典五六七条においても、「相続関係は、被相続人が最後に定住所を有していた国の法律による。」旨を規定する(同条一項)とともに、「遺言の成立及び取消、またその方式は、遺言が遺言作成時に有していた最後の定住所地の国の法律による。」旨を規定しており(同条二項本文)、右一二七条の規定の趣旨を更に明確化した内容が定められているのであって、これらの規定に照らすと、本件における遺言者の本国であるソ連及びロシア連邦共和国の国際私法規定は、遺言を含めた相続関係全般について(前記民事立法の基礎一二七条三項及びロシア連邦共和国民法典五六七条三項の定めるソ連内に存する建物の相続関係を除く。)その準拠法を被相続人(遺言者)の住所地法と指定しているものと解されるのであって、本件における遺言者かつ被相続人である亡トカレフの住所地が最後の時点(死亡時)及び遺言時のいずれにおいても日本である以上、本件遺言の成立(遺言能力等)及び効力(取消しも含む。)に関しては、法例二九条に基づき反致が成立し、いずれも日本法が準拠法となるものと解するのが相当である。
被告及び補助参加人らは、抗弁1において意思能力の欠如を、抗弁2において禁治産宣告の存在をそれぞれ主張して本件遺言の無効を論じているので、以上の事実関係及び法律関係を前提として、以下、これらの各主張について判断することとする。
二抗弁1(意思能力の欠如)について判断する。
1 被告及び補助参加人らの主張に係わる亡トカレフの入院時から本件遺言書作成時前後までの間における病状及び精神状態については、前記一1の(三)ないし(六)において認定した事実のほか、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 亡トカレフは昭和五七年一一月末ころ青木病院で肝不全、変形性脊椎症等と診断され、主として足腰の衰えと腰痛により通院に困難を感じたため自らの希望により同病院に入院し、症状の改善に伴い退院の勧めを担当医から受けた後も、病院で介護を受ける生活を希望して入院を続けていたが、その間、担当医である訴外青木医師の診断および観察によれば、九〇歳をこえる高齢者に通常みられる脳動脈硬化症による若干の反射神経の鈍麻や足腰の衰えはみられたものの、別段脳に障害はみられず精神状態について問題はなく、通常人としての正常な判断力、表現力を有していると認められる状態であった。
(二) その後、昭和五八年一二月初旬ころ亡トカレフは訴外シュウエツらによって聖母病院に移され、その際、大切に保管していた自己の財産である現金及び貯金証書の入った鞄を自己の意思に反して訴外シュウエツらの管理下に置かれ、金銭を自由に使うことを許されなくなり、右鞄の返還を求めてもこれを強く拒絶されたことから、一時的に精神的に不安定な状態に陥り、苛立って病院の中で暴れたり大声をあげるなどの行動をしばしば示すようになった。もっとも、訴外兵藤の交渉によって右現金及び貯金証書が返還された後は亡トカレフは精神の安定を取り戻したのであるが、右返還前の時点で同病院に入院中の同人を見舞った知人の訴外バクダノフ及び訴外マルコフ神父は、亡トカレフのこのような状態を見て同人の精神の正常を強く疑い、同人の保護のために後見人を専任する必要があると考え、在日ソ連大使館に赴き、訴外カルプシキン総領事に対し当時の亡トカレフの行動について報告し後見人選任の必要を訴えたところ、同総領事から医師の診断書の提出を求められた。そこで、訴外バクダノフ及び訴外マルコフ神父は、亡トカレフの主治医である訴外アクセノフに対し、かかる経緯を説明した上で、亡トカレフに適当な保護者を付けるための手続に必要な診断書を作成するよう要請した。訴外アクセノフは、聖母病院の担当医との間で従前から亡トカレフの爾後の生活先について適当な老人ホームなどの施設を検討していたこともあり、本人の生活環境、年齢(当時九四歳)等を考慮して、亡トカレフが然るべき施設において適当な介護者の下で介護を受けられるようにとの配慮の下に、かかる高齢者について介護施設及び介護者の必要性を認証する場合の定型的な文例を自己の病院に勤務する医師にタイプさせ、右文例をそのまま採用して診断書を作成した。右診断書には、脳血管の循環が不十分のために判断力等に間欠的な喪失があり、自らの意思で日常の用事や用足しが完全には出来ない旨の記載があるが、右文面は、訴外アクセノフにおいて、自己の認識と異なり亡トカレフの症状を過度に誇張することになることを自ら承知の上で、介護の必要性を特に強制する意図の下に、このような場合の定型的な文例をそのまま採用したものであり、同人の病状に対する訴外アクセノフの現実の認識を表したものではなかった。すなわち、訴外アクセノフは、その後亡トカレフの不知の間に日本の家庭裁判所に対して申し立てられた禁治産宣告申立事件について、その取下げの手続のために亡トカレフに弁護士を紹介し、また、本件遺言に際して自ら立ち会い当初通事を引き受けるなど、一貫して亡トカレフの精神状態は正常であるとの認識の下に同人の保護のために尽力していたものであって、右の診断書作成当時においても、訴外アクセノフは真実亡トカレフが判断力等に間欠的な喪失を来していたと認識していたものではなく、当時同人のために探していた適当な介護者を付してもらうための便法として右診断書を発行したにすぎなかった。しかるに、右診断書の交付を受けた訴外バクダノフ及び訴外マルコフ神父がこれを在日ソ連大使館に提出したのを受けて、訴外カルプシキン総領事は、右両名の報告内容及び右診断書の記載を基礎として亡トカレフを禁治産者と認定し、後記三のとおり本件禁治産宣告及び後見人専任の手続をとるに至った。
(三) その後、自己の意思に反して取り上げられていた前記の現金及び貯金証書が訴外兵藤の交渉によって返還された後は、亡トカレフは精神の安定を取り戻し、特に同年四月末に退院して訴外武田宅に引き取られ訴外武田夫妻の介護の下に生活するようになってからは、聖母病院入院当時のように苛立って乱暴な行動を示すことは全くなくなり、時折興奮して母国語のロシア語を長々と話し出すことがあるほかは、青木病院入院当時と変わりない平静な状態で生活を続けていた。
同年七月五日から同月一三日までの間、亡トカレフは脱水症状のために再度青木病院に入院したが、担当医である訴外青木医師の診断及び観察によれば、同人の精神状態に問題はなく、通常人としての正常な判断力、表現力を有していると認められた。また、同人は、その当時も金銭については相当細かく、入院中も絶えず金銭の出納などについて厳密に管理を行っていた。
同月一三日に青木病院を退院した後は、亡トカレフは再び訴外武田宅に引き取られて訴外武田夫妻の介護の下に生活するようになり、以後従前と同様全般に平静な状態で生活を続けていた。
(四) その後の本件遺言作成手続の際にも、亡トカレフは、遺言内容及びそれ以外の事柄について訴外藤井公証人とも頻繁かつ円滑に会話を交わし、当日の手続について各関係者に対し満足と感謝の意を表するなど、遺言内容について十分な理解を示すとともに、常識的な内容の発言に終始しており、右手続を主宰した訴外藤井公証人においても、亡トカレフの理解力、判断力等については全く問題がないものと判断していた。
また、訴外武田宅に引き取られて以後、本件遺言書作成の前後において、亡トカレフは、訴外武田宅の近隣の人々に対し、目黒の土地建物(本件土地建物(一))は訴外武田夫妻のものになる旨を再三告げており、自ら本件遺言の内容について語るとともに、それらの人々との間で和やかに会話を交わしていた。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 以上の認定の事実関係に照らすと、被告及び補助参加人らの主張に係る亡トカレフの入院当時における粗暴な行動は、当時同人が自己の現金及び預金証書を自己の意思に反して取り上げられ、その返還の要求を強く拒絶されたことから精神的に不安定な状態に陥ったことに起因する一時的な現象にすぎず、被告及び補助参加人らが主張するような脳の障害等の病気に起因する医学的症状ではなかったと認めるのが相当であり、また、その当時訴外アクセノフによって作成された前記の診断書は、訴外バグダノフらの要請に基づき適当な介護者を付してもらうための便法として、訴外アクセノフにおいて自己の認識と異なり亡トカレフの症状を過度に誇張することになることを承知の上で、高齢者について介護施設及び介護者の必要性を認証する場合の定型的な文例をそのまま採用して作成したものであり、同人の病状に対する訴外アクセノフの現実の認識を表したものではなかったと認められる。このように、いずれにしても、聖母病院入院当時の亡トカレフの行動及び訴外アクセノフによって作成された診断書の記載は、その当時亡トカレフが恒常的に意思能力を欠如していた旨の前記主張を基礎付けるには足らないものである。そして、ほかに右主張を認めるに足りる証拠はない。
かえって、右認定の一連の事実経過に照らすと、亡トカレフは、右現金及び預金証書を自己の意思に反して取り上げられていた聖母病院入院当時において一時的に精神的に不安定な状態に陥り粗暴な振舞いに出たことがあったものの、右の時期を除いては全般的に平静な精神状態を維持し、右の時期をも含めてその間一貫して通常人としての正常な判断力、理解力及び表現力を有していたものと認めるのが相当である。特に、亡トカレフが聖母病院に入院する前及び退院してから数箇月後(右現金及び預金証書返還後)の時点で同人を診察した訴外青木医師が、いずれの時点においても同人は通常人としての正常な判断力、表現力を有していたと診断していること、本件遺言書作成の手続を主宰した訴外藤井公証人も亡トカレフの理解力、判断力等については右手続の際の同人の言動に照らし全く問題がないものと判断していることのほか、本件遺言書作成手続の際の亡トカレフの言動全般、訴外武田宅付近の住民らとの間の亡トカレフの会話の態様等を総合して勘案すると、本件遺言書作成当時、亡トカレフは通常人としての正常な判断力、理解力及び表現力を備え、遺言内容について十分な理解を有していたものと認められるのであって、遺言能力としての意思能力に何ら欠けるところはなかったものと解するのが相当である。
3 以上のとおりであるから、抗弁1は、理由がない。
三抗弁2(禁治産宣告の存在及び本件遺言の手続違背)について判断する。
1 前掲丙第六ないし第九号証を総合すると、抗弁2(一)(日本国駐在のソ連総領事による禁治産宣告の存在)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
そこで、日本国駐在のソ連総領事が在日ソ連人である亡トカレフに対してした本件禁治産宣告の効力について判断することとする。
2 国際法上、特定の国家の国家機関による公権力の行使が可能なのは、その国家の領土主権の及ぶ範囲、すなわち自国領域内に限られるのが原則であり(属地的管轄権)、自国民に対する関係でも、その国民が他国の領域内に居住又は滞在している限り、その者は専ら当該居留地国による管轄権の行使の下に服し、本国の国家は原則として当該国民に対して公権力を行使することができず、特に居留地国の同意がある事項について例外的にその行使を許容されることがあり得るにすぎない。そして、一般に通商及び航海の促進、自国民の保護等を目的として本国から国家機関である領事官を派遣することは、国際法上国家が当然に行い得ることではなく、接受国の同意を必要とし、その権限も、派遣国との間の条約等による合意によって特に定められた範囲、すなわち接受国の同意が得られた範囲に限定される。領事官の派遣及び接受、その権限及び特権等に関する多国間条約である領事関係に関するウィーン条約(一九六三年採択条約第一四号。日本の加入は一九八三年。ソ連はこれに加入していない。)においても、領事官の他国領域内における職務権限については、裁判権の行使にわたる事項は一切認められておらず、一定の範囲の行政的事務に限局して定められているのが現状である。
ところで、禁治産宣告は、国家機関が個人の行為能力に制限を加える宣告行為であり、公権力、特に広義の裁判権の行使たる国家行為であるから、領事官がこれを他国の領土主権の下で自国民に対して行うことは原則として認められず、特に当該相手国の同意がある場合に例外的に許容されることがあり得るにすぎないと解される。
そこで、日本国駐在のソ連の領事官の職務権限として禁治産宣告を行うことの可否につき、接受国たる日本国の同意の有無が問題となるところ、前記の領事関係に関するウィーン条約は、ソ連はこれに加入していないので問題とする余地がないばかりでなく、右条約において禁治産宣告については何ら言及されていないから、その加入国である日本国について概括的な同意の存在を認めることはできないというべきである。
そこで、領事関係に関する日ソ両国の二国間条約である日ソ領事条約についてみるに、同条約は領事官の接受国内における職務権限の範囲に関して、二九条一項前段において「領事官は、その領事管轄区域内において、この部に定める職務を遂行する権利を有する。」との規定を置くとともに、「この部に定める職務」について、三〇条ないし四二条において個別的かつ詳細にその内容を列挙している。右各規定の定め方からすると、三〇条ないし四二条の各規定に列挙された事項は明らかに制限的列挙であると解されるところ、右諸規定の中に禁治産宣告に関する規定は存在せず、かえって、三七条の規定は領事官に後見人の推薦の権限のみを認めるにとどまっており、領事官の権限を特にかかる事項に限定して掲げている右規定の趣旨に照らすと同条約は、禁治産宣告はもとよりこれに付随する後見人の選任についても、その権限を領事官に対して許容する趣旨ではなく、これをあえて列挙事項から除外したものと解するのが相当である。なお、同条約二九条一項後段の「接受国の法令に反しないその他の領事職務」とは、右の制限的列挙事項以外の付随的事項で、当該事務の性質上特に接受国の法令において領事官の権限として許容されていることが明白な事項を指すものと解されるところ、日本の国内法上禁治産宣告の権限を領事官に委ねることを認めた法令は存在せず、同条約においても右のとおり禁治産宣告の権限についてはその重大性にかんがみこれを領事官の権限から特に除外する趣旨と解されるのであって、同条約の解釈として右二九条一項後段の「その他の領事職務」の中に禁治産宣告の権限が含まれると解する余地はないものというべきである。このように、日ソ領事条約においても、日本国駐在のソ連の領事官につき禁治産宣告の権限を承認する旨の規定は存在せず、ほかに日ソ両国の間において領事官の権限について定めた取決めは存しない。
以上のとおり、禁治産宣告に関しては、公権力(広義の裁判権)の行使たる国家行為としての性質にかんがみ、領事官がこれを他国の領土主権の下で自国民に対して行うことは原則として認められず、とくに当該相手国の同意がある場合に例外的に許容されることがあり得るにすぎないと解されるところ、日ソ両国の間において領事官につき特に禁治産宣告の権限を承認する旨の取決めが存在しない以上、国際法上の原則に従い、日本国駐在のソ連総領事には日本国内において在日ソ連人に対し禁治産宣告を行う権限は認められていないものと解するのが相当である。
また、領事官の権限に関するソ連の国内法である領事憲章は、領事官の権限について、当該接受国との関係において「居住地の国の法律で禁止されていない場合」(三一条)との制限を付しており、ソ連の国内法である右領事憲章の解釈としても、日本国駐在のソ連総領事につき禁治産宣告の権限を承認することはできないものと解される。
右のとおりであるから、日本国駐在のソ連総領事が日本国内において在日ソ連人に対して行った本件禁治産宣告は、そもそもその権限を欠くものとして、それ自体無効と解すべきものである。
3 したがって、本件禁治産宣告の効力に関するその余の主張について判断するまでもなく抗弁2は理由がない。
四以上のとおり、本件遺言書は、日本民法所定の公正証書遺言の手続を遵守し、遺言当時意思能力を備えた遺言者の表示した遺言意思に基づき適法な手続に従って作成された公正証書遺言証書であって、遺言の方式の準拠法に関する法律に基づき、その行為地法かつ遺言者の住所地法である日本民法所定の要件を満たしていることによって方式上有効と認められ、また、遺言能力を備えた遺言者による遺言の意思表示が存在する以上、法例二九条の反致の規定によりその準拠法とされる日本民法に従い、当然に遺言者の死亡のときからその効力を生ずるもの(民法九八五条一項)というべきである。
なお、<証拠>によると、亡トカレフは、本件遺言書を作成する以前に本件土地建物(一)及び(二)をいずれもソ連に対して遺贈する旨の遺言書二通を作成していることが認められるが、遺言の取消し(撤回)に関しては、日本民法一〇二二条、一〇二三条一項及びロシア連邦共和国民法典五四三条のいずれの規定においても、遺言者は新たな遺言書を作成することによって以前に作成した遺言書に基づく遺言を取り消すことができ、以前に作成された遺言書の中に後に作成された遺言書との間に矛盾抵触する部分があるときは後に作成された遺言書によってその全部又は一部が取り消されたものとみなされる旨定められており、亡トカレフの遺言については前記のとおり法例二九条の反致の規定により専ら日本民法が準拠法となるものと解されるところ(特に遺言の取消しについては前記民事立法の基礎一二七条二項本文及びロシア連邦共和国民法典五六七条二項本文の双方の規定において遺言者の遺言当時における最後の住所地法によるべきことが明記されている。)、亡トカレフが以前にソ連との関係で作成した前記の各遺言書は、いずれもその後に作成された本件遺言書と矛盾抵触するものであるから、本件遺言によってその全部が取り消されたものとみなされるのであって、本件遺言の効力に何ら影響を与えるものでないことは明らかである。
五請求原因2のうち、亡トカレフが昭和五九年一一月三日死亡した事実は当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、原告が遺言執行者に就任した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
六請求原因3(本件預金の存在)の事実は、当事者間に争いがない。
以上の事実によると、原告は、遺言執行者としての相続財産管理権に基づき、亡トカレフの遺産の一部である右の本件預金につき返還請求権を行使し得るものである。
七請求原因4(一)(支払命令の送達)の事実は、当事者間に争いがなく、同(二)(満期日の経過)の事実は、当裁判所に顕著である。
八結論
右の次第で、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九四条後段、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官新村正人 裁判官近藤崇晴、同岩井伸晃は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官新村正人)
別紙目録
第一条 遺言者は、武田年義(昭和九年五月一〇日生)及びその妻武田二三子(昭和一九年一月五日生)にそれぞれ左記所有不動産を遺贈する
記
(一) 東京都目黒区目黒四丁目五二六番一五
宅地 216.36平方メートル
以上共有持分二分の一
(二) 同所五二六番地一五
家屋番号 五二六番五
木造スレート葺二階建居宅 一棟
床面積
一階 83.14平方メートル
二階 67.76平方メートル
以上共有持分二分の一
(但し(一)、(二)の登記簿上の遺言者の呼称はいずれもトカレフ・アレキセイ・エス)
第二条 遺言者は、アクセノフ・エフゲニイ(AKSENOFF・EUGENE)(西暦一九二四年三月五日生)に左記所有不動産を遺贈する
右受遺者は、右遺贈を受ける負担として、遺言者の生存中無償でその治療行為並びに身の廻りの世話を行ない、かつ遺言者の死亡後は、遺言者の葬儀、墓地の取得、埋葬等一切を執り行うものとする
記
(一) 東京都港区麻布台一丁目三一四番二七
宅地 289.12平方メートル
(二) 同所三一四番地二七
家屋番号 同町三六番
木造コンクリート亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅 一棟
床面積
一階 154.97平方メートル
二階 88.89平方メートル
(但し(一)、(二)の登記簿上の遺言者の呼称は、いずれも、アレキセイ・ステパノヴィッチ・トカリヨフ)
第三条 遺言者は、次の各受遺者に次のとおり各現金を遺贈する
(一) ロシア正教会(東京都新宿区若葉一丁目一八番地)に対し現金三百万円也
(二) 兵藤エミ(東京都目黒区目黒四丁目九番四号居住)に対し同女が第一条記載の(一)、(二)の土地・建物を遺言者の死亡の日より六ヶ月以内に前記武田夫妻に明け渡すことを条件として、現金一千万円也
(三) ニコライ・バグダノフ(東京都目黒区四丁目居住)に対し現金三百万円也
(四) ターニャ・フエツチンコ(アメリカ在住)に対し現金三百万円也
(但し右各現金の遺贈は、遺言者の富士銀行目黒支店総合定期預金口座番号<省略>の預金債権をもってこれに充てる)
第四条 遺言者は第一条ないし第三条掲記の財産以外の遺産全部を前記アクセノフ・エフゲニイに遺贈する
第五条 遺言者は遺言執行者として、次の者を指定する
東京都江戸川区北小岩三丁目一四番二号
弁護士 横谷瑞穂
昭和一九年八月二五日生
別紙物件目録
(一)(1) 所在 東京都目黒区目黒四丁目
地番 五二六番一五
地目 宅地
地積 216.36平方メートル
(2) 所在 東京都目黒区目黒四丁目五二六番地一五
家屋番号 五二六番五
種類 居宅
構造 木造スレート葺二階建
床面積
一階 83.14平方メートル
二階 67.76平方メートル
(二)(1) 所在 東京都港区麻布台一丁目
地番 三一四番二七
地目 宅地
地積 289.12平方メートル
(2) 所在 東京都港区麻布台一丁目三一四番地二七
家屋番号 三六番
種類 居宅
構造 木造コンクリート亜鉛メッキ鋼板葺二階建
床面積
一階 154.97平方メートル
二階 88.89平方メートル
計算表
番号
元金
期間
日数(日)
年利(%)
利息
分離課税(35%)
税引後支払額
a
9,000,000
58.8.18―59.8.17
59.8.18―60.5.25
1年
281
5.75
1.50
517,500
103,931
217,500
9,403,931
b
8,000,000
58.8.18―59.8.17
59.8.18―60.5.25
1年
281
5.75
1.50
460,000
92,383
193,334
8,359,049
c
6,000,000
58.11.9―59.11.8
59.11.9―60.5.25
1年
198
5.75
1.50
345,000
48,821
137,837
6,255,984
d
2,000,000
58.11.28―59.11.27
59.11.28―60.5.25
1年
179
5.75
1.50
115,000
14,712
45,399
2,084,313
e
4,000,000
59.4.2―60.4.1
60.4.2―60.5.25
1年
57
5.50
1.50
220,000
9,369
80,279
4,149,090
f
7,000,000
59.6.8―60.6.7
1年
5.50
385,000
134,750
7,250,250
計 37,502,617